第二十話 新しい禿
「……」
「へっ?」 梅乃と小夜は驚いていた。
「何、ボーっとしているんだい! 部屋割りと仕事を教えてやるんだよ」
采は梅乃たちに言っていた。
「は、はい―」 三原屋は、新しい禿を迎えいれることになったのである。
(先日の客は、この事だったのか……) 梅乃は思い出していた。
時を戻して三十分前、
「梅乃、小夜、新しい禿になる古峰《こみね》だ。 しっかり教えてやりな」 采の言葉だった。
そして古峰は 「……」 無言だった。
(この娘は……声が出せないのかな? たまに吉原では変わった人はいるけど……)
「こんにちは。 私は梅乃、よろしくね♪」 梅乃は、『最初が肝心《かんじん》』とばかりに元気よく自己紹介をする。
しかし、古峰は “プイッ ” と、横を向いてしまった。
(はぁ? 可愛く無いヤツだな……) 梅乃が目を丸くすると、
「梅乃~ そんな元気の押し売りみたいな真似じゃ、驚くよ~ 優しくよ♪」
「こんにちは。 私は小夜だよ。 よろしくね~♪」 小夜の持ち味の、ほんわかした声を古峰に掛けたが……
“プイッ ” また横を向いていた。
「―プッ」 梅乃は吹き出してしまった。
「なんなのよ~ そんなんじゃ、モテないからね~」 温和な小夜が叫んでしまうほどであった。
そして一時間後、
「梅乃、小夜、古峰を連れて買い物に行ってきな」 采はメモを梅乃に渡す。
「じゃ、古峰。 行こう」 梅乃が声を掛けると
「……」 古峰は返事をしなかった。
(コイツ、殴ってもいいかな……?) 梅乃がイライラし始める。
そして仲の町を歩いていると
「梅乃~ 小夜~」 鳳仙楼の禿、絢が声を掛けてきた。
「絢~」 梅乃と小夜は、小さく手を振る。
「久しぶり~って、新しい禿?」 絢はヒョコッと、古峰を見る。
「……」 古峰は挨拶をしなかった。
「随分と面白いのが入ってきたね~」 絢は顔をヒクヒクさせて言うと
「でしょ。 私たちも苦戦中《くせんちゅう》よ」 梅乃が呆れたように言う。
「はははっ……じゃ、頑張ってね~」 絢は、そそくさと去っていった。
そして、買い物をする茶屋の千堂屋に着く。
「おっ、梅乃ちゃん、小夜ちゃん こんにちは」
「こんにちは。 今日はコレをお願いします」 梅乃は、メモを千堂屋の主人に渡した。
すると、 「梅乃ちゃん、小夜ちゃん、こんにちは。 こちらは新しい禿かな?」
野菊が話しかけてきた。
「こんにちは、野菊姐さん。 はい、今日からで古峰って言います」
梅乃が野菊に紹介するも
「……」 “ プイッ ” っと、横を向いた。
「あら~ 随分《ずいぶん》と楽しそうな子じゃない♪」
いつも優しく、のほほんとした野菊の顔がヒクついていた。
(―うわっ、温厚な野菊姐さんまでもが……なんなんだよコイツ……)
梅乃は、大物ルーキーの存在に困惑していた。
買い物を済ませ、妓楼に戻った三人は
「ただいま戻りました~」 梅乃と小夜は声をだしたが、古峰は
「……」 で ある。
「ふぅ……」 采もキセルを咥えたまま、ため息を漏らす。
「梅乃~ 私、ああいうの苦手かも……」 小夜が、ボソッと梅乃に耳打ちをする。
(誰だって苦手だわい……) 梅乃も言いたいが、我慢していた。
そして、掃除など妓楼での仕事を教えていたが、
「……」 相変わらず言葉は発しないが、それなりに仕事をこなしていく。
(やっているなら、いいか……) 梅乃は、気にしないようにしていた。
それから数日が経ち、古峰は黙々と仕事をしていた。
見世の外の掃き掃除をしていた時である。
梅乃が ふと見ると、古峰が猫を見ていた。
梅乃は黙って見ていた。
すると、古峰はしゃがみ込んで猫に話しかけた。
「どこの猫? お腹空いたの?」 そんな古峰を見ていた梅乃は
「なんだよ、話せるじゃん。 なのに、どうして妓楼では話さないんだろう……?」
そして、昼見世の前の時間
「は~ さっぱりした~」 妓女は風呂の時間になる。
禿たちは、風呂上りの妓女に手ぬぐいを渡すのが仕事である。
今で言えば、バスタオルだ。
妓女全員の入浴が終えると、禿が入れる時間となる。
「さぁ、入ろう♪」 梅乃と小夜は、すぐに服を脱いだ。
「あれ? 古峰は?」 梅乃は、古峰が来ていないのに気づく。
「古峰~」 梅乃が古峰を探しに大部屋まで向かうと、
「ちょっとアンタ、服を着なさいよ~」 妓女の松代が声をあげる。
「す、すみません。 古峰が……」 そう言って、妓楼を裸のまま探していた。
「いたいた。 古峰、お風呂だよ」
「……」 古峰は裸で探しにきた梅乃を見て、言葉を失った。
古峰は話さなかったが、顔が困惑していた。
「ほら、行くよ」 梅乃が古峰の腕を引っ張り、風呂場まで連れていく。
「ほら、毎日入れる訳じゃないんだから~」 梅乃と小夜は、古峰の服を脱がせた。
「―やめ……」 古峰が声を出した瞬間であった。
服を脱がすと、古峰の身体は全身にアザがあった。
「古峰……」
「……」 古峰は手でアザを隠そうとしたが、全身に及ぶアザは手で隠せるものではなかった。
三人は無言になり、そのまま風呂に入った。
そして、梅乃が古峰の背中を流し始める。
「痛かったら言ってね」 梅乃が言える言葉は、これが限界だった。
すると、頑《かたく》なに話そうとしなかった古峰が口を開く。
「ごめんね……何も話さなくて。 いつも親に何かを言うと叩かれていたの…… だから、何も話さないようにしていたの……」
そう言って、古峰は下を向いてしまった。
「そう……でも、ここには親は居ないし安心したら?」 梅乃は優しく背中を流していた。
「あ、ありがとう……」 古峰は下を向きながら言った。
入浴後、梅乃は采に古峰の事情を話すと
「そうかい……あの親、来た時はニコニコしてやがったのに、とんだ狸《たぬき》だったね」 采はキセルを吹かしながら言った。
それから古峰は、少しずつだが言葉を出すようになった。
「う……梅乃ちゃん……これは何処に置けばいい?」 たどたどしいが、これを機に変わればいいと梅乃は思っていた。
そして赤岩が古峰の全身に軟膏《なんこう》を塗ってあげ、少しずつ良くなっていく。
そして一週間が過ぎた頃、古峰の全身のアザは完全に消えていた。
「もう痛くない?」 小夜が心配そうに聞くと、
「もう大丈夫♪」 古峰は、笑顔まで見せるようになっていた。
今まで下を向いてばかりだった古峰の顔を正面から見れるようになったのだが……
日本人にしては顔が濃《こ》く見え、目鼻立ちがハッキリした美人だった。
古峰は十歳。 梅乃や小夜とは一つ年下になる。
この有望株の顔立ちは、梅乃と小夜のライバルになると采は思っていた。
そして、古峰が慣れてきた頃には
「梅乃~ 買い物を頼むよ」 采がメモを渡すと、
「私が行ってきます♪」 古峰は采からメモを奪《うば》うようにして、買い物に出かけて行った。
「まってよ~」 そこから、小夜と梅乃が追いかけていく。
千堂屋では
「こんにちは。 コレをお願いします」 古峰は妓楼の外でも積極的に挨拶をしていた。
「なんか変わったね~」 野菊も驚いていた。
絢を見かけては挨拶をする。
「前はごめんなさい……」 こんな風にまでなり、禿同士の交流まで出来るようになった。
仲の町の立て札を見て、勉強をする。
「これは、法度と言って、ダメな事を言うんだって……」 文字の勉強を一緒にしていた。
段々と打ち解けてきた古峰ではあるが、解決しないといけない問題もある。
「古峰―っ!」
そう、妓女たちである。
古峰と妓女たちのファーストコンタクトは最悪であった。
『挨拶もしない、返事もしない子』 のレッテルは払拭《ふっしょく》できていなかったのだ。
「まったく、返事も出来ないんだね!」
“パンッ ” そう言って叩く妓女がいる。
「―梅乃?」 妓女の一人が古峰に叩こうとしたが、梅乃が庇い、身代わりとなって叩かれたのである。
「姐さん、すみません……これからの古峰を見てからにしてもらえますか」
梅乃が身代わりとなってしまった事に、妓女の怒りは冷めていく。
「ふんっ! 次は容赦《ようしゃ》しないよ」 古峰は、そう言った妓女に頭を下げ、許しを貰った。
「ごめんね……」 古峰は泣いて梅乃に謝っていた。
「いいの! 私たちもこうやって花魁に助けて貰ったんだ……」 梅乃はニコッとした。
「梅乃ちゃん……」
そして、古峰にも教えてあげた “ニギ ニギ ”
今では、三人でニギニギをして慰《なぐさ》めあっていく。
それから、古峰も妓女たちとモメる事は少なくなっていった。
この日常に梅乃も満足していたが、山の天気のように何かあるのが吉原である。
「あれ? この前の人……」 梅乃が気づく。
以前に三人組の男性が、仲の町から河岸見世の方へ歩いていくと
「ごめん、先に帰ってて」 梅乃が言い残すと、三人組の方へ歩き出したのだ。
第二十話 新しい禿「……」「へっ?」 梅乃と小夜は驚いていた。「何、ボーっとしているんだい! 部屋割りと仕事を教えてやるんだよ」采は梅乃たちに言っていた。「は、はい―」 三原屋は、新しい禿を迎えいれることになったのである。(先日の客は、この事だったのか……) 梅乃は思い出していた。時を戻して三十分前、「梅乃、小夜、新しい禿になる古峰《こみね》だ。 しっかり教えてやりな」 采の言葉だった。そして古峰は 「……」 無言だった。(この娘は……声が出せないのかな? たまに吉原では変わった人はいるけど……) 「こんにちは。 私は梅乃、よろしくね♪」 梅乃は、『最初が肝心《かんじん》』とばかりに元気よく自己紹介をする。しかし、古峰は “プイッ ” と、横を向いてしまった。(はぁ? 可愛く無いヤツだな……) 梅乃が目を丸くすると、「梅乃~ そんな元気の押し売りみたいな真似じゃ、驚くよ~ 優しくよ♪」「こんにちは。 私は小夜だよ。 よろしくね~♪」 小夜の持ち味の、ほんわかした声を古峰に掛けたが……“プイッ ” また横を向いていた。「―プッ」 梅乃は吹き出してしまった。「なんなのよ~ そんなんじゃ、モテないからね~」 温和な小夜が叫んでしまうほどであった。そして一時間後、「梅乃、小夜、古峰を連れて買い物に行ってきな」 采はメモを梅乃に渡す。「じゃ、古峰。 行こう」 梅乃が声を掛けると「……」 古峰は返事をしなかった。(コイツ、殴ってもいいかな……?) 梅乃がイライラし始める。そして仲の町を歩いていると「梅乃~ 小夜~」 鳳仙楼の禿、絢が声を掛けてきた。「絢~」 梅乃と小夜は、小さく手を振る。「久しぶり~って、新しい禿?」 絢はヒョコッと、古峰を見る。「……」 古峰は挨拶をしなかった。「随分と面白いのが入ってきたね~」 絢は顔をヒクヒクさせて言うと「でしょ。 私たちも苦戦中《くせんちゅう》よ」 梅乃が呆れたように言う。「はははっ……じゃ、頑張ってね~」 絢は、そそくさと去っていった。そして、買い物をする茶屋の千堂屋に着く。「おっ、梅乃ちゃん、小夜ちゃん こんにちは」「こんにちは。 今日はコレをお願いします」 梅乃は、メモを千堂屋の主人に渡した。すると、 「梅乃ちゃん、小夜ちゃん、こんにちは。 こちらは新し
第十九話 花の蜜 「ごめんください……」 昼見世が終わりの時間、一人の来客が現れた。「はーい」 小夜が対応する。そこには二十歳くらいの女性が立っていて「私、引手茶屋の千堂屋《せんどうや》で働いています野菊《のぎく》といいます」「はい……」 小夜は不自然な事に戸惑っていた。「良かったら、此処《ここ》で働けないでしょうか?」 野菊の言葉に、小夜は驚く。「少々、お待ちください」 小夜は、采の元へ向かい説明をしていた。そして、 「なんだい? いきなりどうしたんだい?」 采も驚き、野菊に聞くと「あの……茶屋から、接客を勉強しろと言われまして、働きながら勉強できる所を探していまして……」 と、野菊は説明するが、采は困っている。「まぁ、話した事は解るが……ここで働くのは女郎だよ? アンタ、出来るのかい?」「やった事はありませんが、お願いします」 野菊は何度も頭を下げる。そして、細かい説明をした采は悩んでいた。「う~ん……」 「どうしたんだい?」 采に話しかけてきたのは文衛門であった。「お前さん……」 そして、采は文衛門に野菊の事を説明すると「なんだって? 千堂屋が? ちょっと行ってくる」 文衛門は、慌てて千堂屋に向かった。そして、文衛門は千堂屋で店主と話していた。「それって……本気かい?」 文衛門は驚いている。どうやら野菊は、千堂屋の店主の娘だと言う。千堂屋は引手茶屋である。三原屋などの大見世は、千堂屋からの紹介で来る客も多い。 そんな得意先の茶屋ではあるが、「本気かい? なんで娘を女郎にするんだい?」 文衛門は、興奮気味に話していた。引手茶屋の店主は、本気のようだ。話しを聞いた文衛門は、野菊を預かることになってしまった。「お前さん、本気かい?」 当然ながら、受け入れをした文衛門に采は、驚きと怒りさえ混じった声で叫んでいる。「あぁ、仕方ない……あの親父も、「働かせるなら評判の良い所に……」 なんて言うものだから……」文衛門が肩を落としながら話していると、「まぁ、なっちまったもんは仕方ない。 野菊、菖蒲に付いて勉強だよ」采は野菊に指示をし、一緒に菖蒲の部屋に向かった。そして、菖蒲に説明をすると「えっ? お婆……本気?」 当然ながら、菖蒲は唖然《あぜん》としていた。「よろしゅう、お頼み申しんす……」 野菊は三
第十八話 春に舞う乙女たち 正月が過ぎ、厳しい寒さを抜けて春がやってきた。 この春を境に梅乃と小夜は十一歳となる。 誰も二人の誕生日を知らない訳で、春に拾った子だからと言うことらしい。 明治初期、少しずつ江戸の名残が薄くなっていった。 世間では、奉行から警察と呼ばれるようになり姿も変えている。 「梅乃~」 声を掛けてきたのは花緒である。 「花緒姐さん、おはようございます」 見世の前に出ていた梅乃を追いかけるように花緒も外に出てくる。花緒は、以前に勤めていた近藤屋から買い取った妓女である。四人の妓女が三原屋に来たが、花緒だけが梅乃と よく話す仲であった。他の妓女より端正な顔立ちで、可愛いより綺麗タイプの妓女である。「梅乃~ 昼見世の時間、外から見て目立つように助言を貰えないだろうか……」 珍しく花緒がアドバイスを求めてきた。「あの……私、男でもないし、妓女でもありませんが……」 梅乃が困っていると、 「梅乃って、見る目あるじゃない。 少しだけでいいから~」 (花緒姐さんって、美人だけど話すと子供っぽいんだよな~ だから、なんか断りにくいんだよな~) 梅乃は困りながらも「わかりました。 後で怒らないでくださいね……」 梅乃は、念を押して承諾《しょうだく》する。そして梅乃は、花緒が目立つように張り部屋を見ていた。(こうして見ると、花緒姐さんは地味なのか?)梅乃から見た花緒は、綺麗ではあるが不思議に目立たなさを感じている。 「花緒姐さん、なんとなくですが分かります……」 「何? どんな?」 花緒が食いついてくると 「それは、華《はな》です」 「華?」「はい。 花緒姐さんは顔立ちが良いのですが、なんとなく華やかさと言うか…… もったいないと思ってしまいました」「ふむ……」「すみません。 頭にきたなら叩いて結構ですので……」 梅乃が頭を差し出す。「しないわよ! 私から頼んでおいて、出来ないわよ」 花緒は、慌てて両手を振っていた。「でも、どうしたら華やかさが出るんだろう……」「少し、外に出てみませんか?」 梅乃は花緒を外に誘って、仲の町を歩いてみた。 「ねぇ、仲の町を? どうして?」 花緒は、落ち着かない様子で梅乃の後ろを歩いていく。 「姐さんたちは昼見世の後は芸子の練習をしたりで、あまり外を歩かないじゃ
第十七話 年の瀬の騒ぎ「おはようございます」 梅乃と小夜は、早起きをして吉原を散歩していた。妓女たちは、朝の六時に客を見送る『後朝の別れ』を済ませてから寝床に入り、十時くらいまで仮眠に入る。梅乃と小夜は、子供なので夜の九時には寝ている。 朝の六時には起きて、妓女の見送りには息を潜めて邪魔をしないようにしているのだ。『後朝の別れ』が済むと、梅乃と小夜が慌てて小用に向かう。その後、時間潰しに吉原の中を散歩するのが日課だった。「もう寒いね……」「うん、早く帰ろう」 そう言って、急いで妓楼に戻る。「おはようございます。 潤さん」 梅乃と小夜は、毎朝 見世の前を掃除する片山に挨拶をする。そして、しばらくすると「梅乃……私、お腹が痛い」 小夜が言い出した。「お婆~ 小夜、お腹が痛いみたい」 梅乃が采に話すと「赤岩先生に診《み》てもらいな」 采は親指で赤岩の部屋をさした。赤岩は三原屋に住ませてもらう代わりに、全員の診察をしているのである。「ふむ……ちょっと早い気がするが……」「なんだい?」 采が聞く。「おそらく馬かと……」 馬とは、生理の言い方である。 月のもの、血の道 などと呼んだりもする。「へ~ じゃ、初馬《はつうま》かい!」 采は喜んでいた。そして、采は腹帯《はらおび》を改良して小夜の下腹部に付けた。この月経帯を新馬《しんうま》と呼んでいた。 馬の帯に似ているからとのことらしい。「小夜……大丈夫?」 梅乃は、まだ生理を知らず、痛がっている小夜を心配していると「大丈夫も何も、お前もじきに来るよ。 心配するな」 采は、そう言ったが梅乃は心配であった。翌日、小夜に出血が見られた。そして一階の大部屋では 「おめでとう~」 なんて言葉が飛び交い大部屋には、勝来や菖蒲も来ていた。(なぜ、おめでとう……なのか?) 首を傾げる梅乃と小夜であった。翌日から小夜はお休みとなった。采が『初めてだから』と言って休ませるとは、 じつに優しいお婆である。そうなると、お鉢《はち》は当然 梅乃に回ってくるのだ。「梅乃~髪結い」 「梅乃~服を押さえて~」 と、仕事が増えてきた。(クタクタだ~) 梅乃は疲れていた。そこに小夜がやってきて、「ごめんね 梅乃~」 小夜は、申し訳ない顔をしていた。「大丈夫だよ」 梅乃は、そう言って手をニギニギ
第十六話 足抜《あしぬけ》秋から冬へと向かう頃、寒さも一段と増してきていた。「梅乃、ちょっと来な」 見世の中から采が呼ぶ。「はい。 なんでしょうか?」 梅乃は、采の元に行くと「ちょっと、噂《うわさ》を拾ってきてくれないかい?」 噂を拾うとは、“吉原の中で噂を聞いてこい ” と言うことだ。大体は引手茶屋に行き、馴染みの主《あるじ》であれば噂や情報を提供してもらえるが、ここ最近では聞かなくなっていたようだ。「ウチの評判も気になるしね。 吉原細見の他にも情報がないかと思ってね~」 「わかりました」 梅乃は仲の町を歩き、聞き耳を立てていた。(確かに、子供になら口が滑ることもあるだろう……) 子供ながら、梅乃はしっかりしていた。『ヒソヒソ……』 やはり、色んな場所で、色んな事を話している人はいるものだ。その中で、気になる人たちが目に入る。そこには男性が三人いて、小さい声で話していた。そしてお歯黒ドブを指さしていたのだ。(なんかあるのか?) 梅乃はお歯黒ドブに近づき、垣根《かきね》の隙間《すきま》から外を見てみる。「なにも変わらないけどな……何かあるのかな?」 今まで気にしていなかった梅乃は、マジマジと外を見ていると「吉原の外って言っても、変わらないかな~」 そんな程度の感想だった。そして翌日、朝から梅乃はお歯黒ドブの方を見にくるとそこには怒りを露《あら》わにしている男性がいる。梅乃は、そっと近づいていく。そこから聞こえてきたのは「また足抜《あしぬけ》か……これで何件になるやら……」 そんな言葉だった。足抜とは、脱走のことである。妓女は借金を抱え、過酷《かこく》な労働《ろうどう》環境《かんきょう》の中で働かなくてはならない。そして年季が明けるまでは吉原から出る事が許されないのである。妓女が吉原から出られる方法は二つ。身請けをされて、身請け人が借金を払うのがひとつ。もう一つは、死ぬことである。病気が重く、死ぬ間際になれば実家に帰らされることはあるが、だいたいは命を落とすケースが多い。借金を抱え、身請けが出来ない妓女は吉原から出る事が出来ないのである。吉原の出入り口は一つしかない。 大門である。その大門には四郎《しろ》兵衛《べえ》会所《かいしょ》というのがある。そこには足抜をしないか見張りをする者がいる。男性は
第十五話 恋慕《れんぼ》秋になり、人肌恋しい季節になってきた。これは現代でも変わらないことであろう。「なんか、このままも寂しいわよね……」 と、ある妓女が言う。「このままって?」 「この仕事をして、年季が明けても身請けもなく、最後は河岸見世とか……」多くの妓女の悩みでもある。妓女が身請けをされるのは、花魁クラスである。 稀に中級妓女でも身請けはあるが、ほんの一握りの話しである。この時代にマッチングアプリなんていうものは無く、心を満たされる妓女は、ほぼ存在しない。妓女を身請けするというのは、男性にとっても莫大な金が必要となる。ここで妓女を指名するのは金持ちでも妻帯者が多いので、身請け出来ない男性が多い。「あぁ……私の年季が明けてからの人生はどうなるのやら……」 なんてボヤく妓女も増えてくる季節でもある。(そんなものなんだな……) 横で聞いていた梅乃は、分からない感覚であった。そして梅乃は小夜と話していると「私、わかるな~ 私だって、いつかは結婚したいもん」 小夜の願望に、梅乃は(小夜、思ったより大人なのかも……) 少し出遅れたような気持ちになっていた。ここ最近、梅乃の顔立ちがハッキリして大人びてきた。 大きい瞳は変わらないが、子供の顔立ちから抜け出してきていた。しかし、変わらないのが小夜である。クリッとした目、小さい口元など幼さが抜けていなかった。(なのに、負けた気がする……) 梅乃は、少し悔しがっていた。午後、梅乃は勝来の部屋に来ていた。そして、雑談の中から「姐さんは、誰かに身請けされたいですか?」 梅乃は、唐突に勝来に聞いていた。「そうねぇ……でも妓女になったばかりだから、そんな事は考えられないわ」「そうですよね。 菖蒲姐さんはどうですか?」「私も同じ……まだ十五だし、借金の返済が始まったばかりだもん」梅乃と小夜は、禿の仕事をしていても借金の返済にはならない。妓女として働いてからカウントされる為、禿や新造までは借金が膨らむようになっている。(途方もなく、先の話しだ……) 梅乃は、目が点になっていた。「私なんて、菖蒲姐さんの後でいいわよ」 勝来がそう言って、クスクスと笑っていた。「勝来の方が位も高いし、見つかるのが早いわよ」 菖蒲も挑発に負けじと返していた。(なんだかんだで、楽しそうだな……)